※解説の文章は、それぞれの本の中に書かれた著者のことばです。また著者の所属は、執筆当時の在籍校です。
「授業を拓く」シリーズ
教科を出発点にした総合学習のとりくみ
4年ぼくらの筑後川
著=石丸文敏(小郡市立三国小学校)

 荒れたり沈んだりして、目標を失っていく子どもたちを見ていると、自分に、家族に、家族の職業に、そして地域に対する誇りを失ってしまっている子が多いように思えてならない。もし、わたしたちが、低学年の生活科で、活動ばかりに振り回されず、しっかりと家族とその職業を見つめさせることができていたら、そして、中学年でも、社会科を中心に、しっかり地域を見つめさせることができていたら、子どもたちも目標を見失うことがなかったかも知れない。「しっかり見つめさせる」という意味は、子ども自身が生きている足場、つまり家庭を含む地域のありさまや、自分、家族、地域の人々のくらしぶりを、子ども自身が持ち合わせている知恵を総動員してリアルにとらえ、自分の生き方と結んで大事な知識として獲得していくことを言う。


バケツ稲づくりに学ぶ
自然の循環を見失わないために
著=遠藤太郎(糟屋郡粕屋町立粕屋東中学校)

 私たちは直接米をつくることはできない。米はつくるのではなく、土と水と太陽の恵みと稲の営みの結果とれるのであり、私たちにできることは、稲がすくすくと育つことのできる健康な持続的食糧生産システムとしての田んぼをつくることである。それが人間にでき得るわずかだが偉大な労働なのである。ややもすれば天気を気にして生きることさえ忘れ去ってしまっている私たちに、バケツ稲づくりは、私たちの生活が直接自然と結びついていることを改めて気づかせてくれる。ひとつの小さな田んぼから、ひとつの小さな種もみから、一束の小さな稲から見えてくる事柄は、私たちの足元から地球規模までも広がっているのだ。


栽培の楽しさ、収穫の喜び、生命の連続性を
イチゴ栽培を通して
著=樋田 博(北九州市立白野江小学校)

 他学年、友達のイチゴの実を取ったり、葉をちぎるなどのいたすらがありました。つまりこれらの現象は、特にクラスの友達関係が悪かったり、子どもの気持ちに不安があったりする場合があります。子どもたちの人間関係を把握するきっかけになったりします。そして、学級指導や生徒指導などを通して友達関係を修復し、学級づくりに役立てることもあります。イチゴや植物を落ち着いて栽培できるときは子どもたちの気持ちが安定している時です。楽しいイチゴ栽培や植物栽培は、子どもの心をあたたかく、やさしくする効果もあります。ものやイチゴを大切にする教育にもつながります。


イメージをはぐくむ詩画集‐木版画‐制作
発想から表現へのてだて
著=田中秀幸(宗像郡玄海町立玄海中学校)

 中学校の美術では様々な表現手段があり、それに刺激されイメージが生まれることももちろんある。ただ、どれだけ発想を引き出し、その発想を深めさせているだろうか。途中苦労しながらも、自分のイメージが表現できたときに、創造する喜びが生まれる。そこまで深めたイメージを持たせているだろうか。今回、自分の「詩」をイメージするというテーマは、それだけでも、ものまねではない発想が生まれる。国語科と共同でとりくんだからこそできた内容で、自分にとっても貴重な体験であった。


生徒に確かな認識力を
『木琴』から『コレガ人間ナノデス』『挨拶』のつづけ読み
著=山口文子(浮羽郡吉井町立吉井中学校)

 「1945年8月6日とは今から50年以上も前のことですが、話者は、過去の出来事にすぎないと言っているのでしょうか。私たちは現代に生まれてきて幸せだと喜んでいていいのでしょうか。」と投げかけた。生徒は「違う」と答えた。そこで、その根拠を詩の中の言葉を使って各自ノートに書かせ、発表させた。そのうえで、題名に戻り、「題名の『挨拶』とは誰から誰への挨拶だと読むことができますか?」と問い、話者から被害者への挨拶であると同時に、明日の焼けただれた私たちへの挨拶と読むことができることに気付かせた。【今まさにここにある危機】をどう認識し、判断し、行動するかで【生と死のきわどい淵を歩く】私たちの明日が決まってくるのだ。


生活に生きる一次関数
携帯電話料金の教材化
著=堀 聡(福岡市立城香中学校)

 どこでどの時間で料金が逆転するのか、何とかグラフを読みとろうとする生徒もいれば、さっそく連立方程式に挑戦しようとする生徒もいた。この教材が持っている良さ、エネルギーといったものを私も授業を進めながら、つくづく感じることができた。おもしろい教材はどんどん生徒を数学の世界に引き込んでいく。数値計算が苦手な子も、グラフからどの部分はどのプランがお得かがわかる。グラフの良さもじゅうぶんに味わわせてくれた。


人・命・自然とのかかわりに触れる
超低温の世界とニジマスの解剖
著=油谷芳弘(北九州市立萩ヶ丘小学校)

 液体窒素で、私自身もそして子どもたちも一番感動したのは酸素の液体の「青」だった。「青」という色は海の「青」でもあるし、地球の「青」でもある。「ニジマス」では心臓の動きに感動した。心臓の色は「赤」である。色は波長の違いによって人間の目にその色が認識される。理科的にせつめいしてしまうとたったそれだけの事なのだが、それだけでは済まされない何かがあるような気がする。酸素は命を支える源であるし、地球もそして命が生まれた海も「青」である。一方、命の象徴である心臓の色や血液の色は殆どの動物は「赤」である。


ともに生きるということ
点字と数学、そして福祉体験へ
著=田中貴子(甘木市立南陵中学校)

 数学から、「福祉」に関するGLOBAL活動へ、点字学習を通して、生徒たちは数学の有用性を実感し、「人」と出会い、見方、考え方が広がっていったといえるだろう。点字を知り、「すごさを感じた。私には目も耳もあるし、使える。でも使えない人の文字もある。そういうことを覚えると世界がひろがるよねぇ。」と書いた生徒がいた。最初は点訳だけのつもりだったのに、さびしいから絵も描いて「この本は見えないお母さんが見える子どもに読んでやることができるねぇ。」と思いがけない小西さんの言葉に、本当のバリアフリーについて考えることができた生徒もいた。


地域で働く人々との出会い
小学3年社会科+総合的な学習の実践
著=柳川 毅(福岡市早良小学校)

 「ラップ春菊」の学習では、これまで子どもたちにとって「意味のない」ビニルハウスの春菊が、「特別なもの」に変わった。樋口さんという地域の方の仕事や生き方、春菊を育てるための様々な工夫や努力が、まさに「意味」なのだ。しかし、これらの学びは机上の、書物の中の抽象的なもので得られない。子どもたちは自分の体と心を通して、感じそして楽しみながらつかんだ「意味」だからだ。生きているもの、呼吸しているもの、全身を通して感じ取れる人やものだからこそできることだ。「地域」という教材、そして教育力のすばらしさだと言っていい。


子どもと向き合った泣き笑い
共有した感動「卒業」までの2年間
著=室井弥生(嘉穂郡穂波町椋本小学校 現在は飯塚市)

 私も落ち込んだ顔のまま、教室に入ることがある。そんな時、「先生、無理せんでいいんばい」と、励ましてくれる子どもがいた。「先生、私たちにできることがあったら、遠慮せんでいいから言ってね。」と、協力してくれる保護者がいた。言葉にもせずとも、私の気持ちを察して、動いてくれた教職員の仲間がいた。だから、これまでの卒業式の中で、一番泣けたのかもしれない。すがすがしさと、まわりの人たちに対する感謝の思いしかなかった。子どもと教師、そして親も一緒になっていった卒業までの日々は、間違いなく「私の宝物」である。


「原爆の火」に学ぶ
平和を求め自分やまわりの人たちを大切にする子どもに
著=野村恭子(朝倉郡朝倉町《現 朝倉市》朝倉東小学校)

 国語科の学習においても、「確かな内容に支えられた言語力」を育てるとともに、平和を求める認識を高め、まわりに働きかけていく力を育てていくことが大切であると考える。だが、人権や平和をテーマとする教材が、教科書には少ない。教師自身が適切な教材を探し、選んで、子どもの心に響く授業を創っていく作業が、どうしても必要になってくる。


地域、保護者、教師の連帯で作る「平和教育」
8・6ミュージカルをとおして
著=馬場千恵美(糸島市立加布里小学校)

 この8・6ミュージカル「シイの木はよみがえった」は、保護者で実行委員長であるKさんの提案によるもので、教宣部の「8・6平和の夕べ」と糸島地区「母と女性教職員の会」コイン講演会の2つのとりくみが一つになったものである。今までの糸島の8・6のとりくみが子どもたちの中に脈々と受け継がれていたということを証明したものであった。それは、このとりくみに積極的に関わってくださったピアニストのTさんの言葉からも明らかであった。「私は小学校のころ毎年8月6日学校で原爆で焼かれた町、傷ついた人々の写真を見せてもらった。そして戦争の話を聞いた。私にとって8月6日は特別な日だった。その8月6日に自分も何らかのかたちでかかわりたいとずっと思っていた。この8・6ミュージカルに参加できてほんとうによかった。」


かけ算のとりくみ
九九づくりを7の段から
著=今里明美(久留米市立上津小学校)

 教材づくりはとても大変であったが、黒板に出現した大きなお店を見たとたんに子どもたちの目は輝き、これから始まる学習への期待で、どの子もとてもいい笑顔を見せていた。子どもたちが初めて出会うかけ算という学習に、十分な事前の準備をして子どもたちを楽しいかけ算ワールドに引き入れることができた。定数増の運動が実を結び、子どもの学力を保障することができたといえる。7の段から九九づくりをしたことは、特に無理があったとは思わない。むしろ、子どもの意欲が最も高い時期に7の段から入ったことで定着はかなりよい。また、具体物を使って子どもたちが自らかけ算を作り上げていったことは、これまで単調に九九を教え、覚えさせることだけに力を入れてきたかけ算の授業からは一歩進むことができたと感じている。


感動を表現した『命の輝き』
“自分宣言”と美術教育
著=中野良江(北九州市立西門司小学校)

 大きな感動を伴った数々の体験こそ、表現活動に効果を表す。そして、何よりも感動したことを心の成長として表せることが重要である。総合的な学習の時間や、教科・行事・特別活動などで印象的な体験をすることにより、子どもたちに「心の宝物」ができる。そのことを子どもたちみんなが、投げ出さず最後まで表現活動を続けている姿は、まぎれもなく体験が一人ひとりに深く刻まれ、それぞれに意味があり、自分の命を輝かせているからにちがいない。「見たこと、感じたこと、想像したこと、伝え合いたいこと、自分に問うこと」を表現していくうちに、より確かな感動となり、自分のいろになっていく。


子どもの見方・考え方を授業で育てる
「サクラソウとトラマルハナバチ」の実践を通して
著=櫻木陽子(宮若市立宮田小学校)

 人間は言葉を使って思考する動物である。言葉の力を持たなければ自分の思いを伝えることはできないし、相手の思いを受け取ることも、それに対して考えることもできない。だからこそ今、国語科で求められているのは、自分の考えをもち、論理的に意見を述べる能力であり、言葉の力が必要とされている。つまり、自分の言葉で考える認識力や自分の言葉で判断する思考力(ものの見方・考え方)を、国語の時間で育てていくことが要求されていると思う。