※解説の文章は、それぞれの本の中に書かれた著者のことばです。また著者の所属は、執筆当時の在籍校です。
「授業を拓く」シリーズ
自分を見つめて
「はたらく」ということ・「学ぶ」ということ
著=芦谷浩一(直方市立直方東小学校)

 TさんもMさんも自分の生活と結んでいる。4の1の子どもたちは「自分の生活と結んだ話」が出せる。Tさんは授業の中でも自分のおばあちゃんのことを語った。そして、そのことをノートにも書いた。Tさんがなぜ自分のおばあちゃんのことを語ったかというと、それは、Kさんの文にピンと反応したからである。だれかの意見に他の誰かが反応して発言する。そこには「正解は何か」なんて存在しない。答えは一つではない。感じたことを感じたままに語り、聴き合う。そこに学びの面白さがある。


教科書+αで生活と結ぶ
ものの燃え方・水溶液の授業
著=藤岡忠浩(大牟田市立大牟田養護学校)

 お弁当のおかず入れに使うアルミカップに、クエン酸を入れて各班に配る。「この粉は何でしょう」と、問う。「砂糖」「食塩」「ホウ酸」等、今までの学習で出てきた物質名が出てくる。臭いをかぐ者もいるが、臭いはしない。「むやみに舐めてはいけない。」「でも、これは大丈夫、舐めてごらん」というと、おそるおそる舐めて「ワー、すっぱい」「ぎゃー」などと言い始める。強烈な酸っぱさである。この粉が、クエン酸であること。クエン酸はみかんなどのすっぱさの成分であると教えた。「お菓子の成分表示に書いてあった」とか「おばあちゃんが『疲れに効く』といって飲んでいる」などの声があがる。「すっぱいものが酸性、にがいものがアルカリ性」とおさえた。


一枚の新聞記事から始まった平和学習
国語の学習を被爆地ヒロシマと結ぶ
著=柴田ハルカ(朝倉市立志波小学校)

 子どもたちの「つぶやきや意見」、「探してきたもの」を見逃さずに大事にしてきた。また、「人の話にじっくり耳を傾ける子」「平和について考える子」「人を大切にする子」になってほしいといつも願っている。11年前、「語り部」の吉田さんの話をもとに、当時の6年生の子どもたちと一緒に被爆体験「吉田さんの8月9日」の絵本を作った。吉田さんとの交流のきっかけになったのも「先生、吉田さんの話を紙芝居にしたい」という子どものつぶやきだった。今回も子どもが見つけてきた一枚の新聞記事から始まったとりくみである。依頼の手紙を書いた。全校平和集会で被爆弁当を再現し、配った。そして、「志波ニュース」を作り、親子で広島へ行った。


学校に農園と森を作ろう
理科教育と食育と環境問題をつないで
著=高松忠彦(筑後市立筑後北中学校)

 アブラナの花の観察に終わらず、自分が食べている野菜についても、花が咲いて種子や果実ができることに注目させたくて取り組んだ。アブラナの観察が終わってしばらくして、農園のキュウリやなすの花の観察をした。生徒は黄色い花の根元にある小さな果実を見て、「キュウリのあかちゃんがある」と喜んでいた。また、キュウリの葉や茎に小さいとげがたくさんあり、虫がつきにくいことに興味を示していた。私は、「植物ってすごいだろ」と言った。生徒たちは暑い中、汗だくになりながら、一生懸命にスケッチをしていた。


「食・命・仕事」と「くらし」を結ぶ
生きることを励ます取り組み
著=福本秀史(田川市立後藤寺小学校)

 「食」と「生きること」について真剣に考えるためにも、身近でありながら伝えられていなかったことを子どもたちといっしょに学ぶ意義は大きい。「生」を考えるのは、「死」と向き合うことである。私たちの「命」をつないでいる「食」を通して、そこに介在する仕事について子どもたちに考えさせたいと思った。人間の「生」のために動物の「死」と向き合う人たちの仕事への誇りに、子どもたちが出会うことで、生きることを励まされ、人権意識が育まれていくと考えた。


他者とつながる子ども集団づくりを
著=中井康夫(大牟田市立右京中学校)

 1年間が終わったときに、「私は本当にこのクラスの子どもたちと出会うことができたのだろうか」という問いが残った。小学校で「いじめ」「学級崩壊」を生きてきた子どもたちは、集団を恐れて、感情を外に出さない鎧を身につけたようだったし、幾重ものレンズをかけてこちらを見ているようだった。お互いの鎧とレンズを外して、「等身大の私」同士として出会えたのだろうか。また思春期前期に、傷つけあってきた子どもたち同士が出会い直すことはできたのだろうか。新しい仲間や自分の姿を発見することはできたのだろうか。


当たり前のことを当たり前のように
「障害」有無に関係ない自然体の学級づくり
著=野田俊一(行橋市立泉中学校)

 「障害」者に対して、“かわいそう””がんばってね”と思う心も差別なのだということに、多くの人は気づいていません。むしろそう思う自分は、”正義の味方”と思っている人も多くいます。また、差別している人の多くは、いわゆる「健常」者と言われる人です。「障害」者差別をなくすには、傍観者をなくすことと、「健常」者に考えてもらうことが一番だと思います。しかし、いざ自分に火の粉が降りかかるようになると『排除の論理』が頭をもたげてきます。これらのことから、「障害」児教育は”周りの教育”とよく言われています。私は「障害」児教育の専門家ではありません。中学校の理科の教科を教えている教員です。そして、ひとりの普通のどこにでもいる担任です。そういうすべての教職員が”周りを育てる”ことに力そそげば、「障害」者差別が少なくなると思います。


生活を見つめ、綴り合い、つながるために
「作文教育と学級通信」
著=坂田美穂(大牟田市立笹原小学校)

 全てオールマイティーにそつなくこなす教師像が求められる中、一人ひとりの教師の個性やよさ、こだわりまで見えなくなりつつある。昨年夏、研究発表会のために気分的に落ち込んだ夏休みを過ごしながら、守りとおさなければならない自分にとっての砦に気づいた。それが、自分のこだわってきた作文であり、学級通信であり、教研活動であった。本来学校は楽しいはずである。学級での毎日毎日は、小さな劇場である。多彩な主役たちが様々なドラマを繰り広げ、それを綴っていく。時にはたのしく、時には切なく、時には怒りに満ちて。それを、どう学級でつなぎ合うのかが教師の腕の見せ所のはずである。


集団マット運動で活動意欲の高揚を
著=田中聖仁(柳川市立柳南中学校)
  江口喜宏(柳川市立三橋中学校)
  田中博史(柳川市立中山小学校)

 パソコンやデジタルカメラを活用して、技の動きや修正点を具体的に確認しながら、練習をくり返したことが、「技の伸びにつながり、技の習得に非常に役に立った」「協力して練習し、楽しかった」と答える生徒がほとんどだった。このように子どもたちが自己の課題を理解し、どのようにして課題を解決していくかを理解し、みんなで実践することを教師が活用できる教材を工夫してサポートしていくことで、今まで苦手意識が強く活動不足であった生徒も含め、多くの生徒が技の伸びや成功体験を味わうことができる。また課題別グループや少人数グループを編成するなど生徒の学習実態に合わせた活動形態、器具・用具の準備や場の工夫など基礎学習を習得できるための環境作りも非常に大切なことである。子どもたちがみんな笑顔でいきいきと活動する姿を思い浮かべながら、私たち教師もがんばりたいものである。


地域の自然に学ぶ
身近な自然の教材化
著=太田博之(築上町立椎田小学校)

 授業の終わりに行った「オニバスのとげは何のためか」についての話し合いでは、「動物に食べられないようにしているんだ。」という声がすぐにあがった。「どんな動物が食べるのだろうか」と問い返したところ、「魚」「かめ」「鳥」などの意見がかえってきた。「鳥はたべるの」「魚も葉を食べるの」「かめは」などなど、話し合いはもりあがった。さらに「こんなにでっかい葉を食べる生き物なんて本当にいるのかな」と問い、「絶滅したのかも」という自分の意見も付け加えた。この話し合いの中で、「葉の表のとげは、みんな外に向いている」という、自分もこれまで気がつかなかった点をみつけた子どもがいた。とてもするどい観察眼だなと感心させられた。「カエルにのられないようにしているんだよ」というかわいい意見もかえってきた。こんな楽しい生き物トークができたのはオニバスのおかげだ。


もう、<その日暮らし>の学級経営では、通用しない
著=峯元一夫(直方市立中泉小学校)

 卒業式当日、最後の太鼓の演奏が始まった。体育館中に響き渡る太鼓の音。音に乱れはない。ばちさばきも大きく、演奏全体がうねりを作りだしている。音色は腹の底まで響き、演奏の姿は感情に直接響いてくるようだ。在校生を初めとして、保護者、職員、来賓に至るまで観る者を圧倒する。なぜか、息を呑む声が聞こえてきそうなくらいの静寂を感じる。誰もが演奏に釘付けとなり、身動き一つできないでいるのだ。太鼓の大きな音の中での静寂。不思議な感覚と感動がこみ上げてくる。「ドーン」という最後の太鼓の音とそれに重ねて「やぁー」という子どもたちの大きな声。一瞬の静寂の後に大きな拍手。それは、今までに味わったことのない感動だった。これが子どもたちの本当の姿だ。


生命誕生の神秘と感動を子どもたちに
ウニの発生実験を通して
著=山本千明(糟屋郡久山町立久山中学校)

 授業の最初に、ニヤニヤしていた子どもたちは、次第にことばを失い、集中して観察を行い、熱心にレポートを書いていく。その姿を見て、私の方が心の底から感動した。また、書いたレポートを読んで再び感動した。これまでまともにレポートなど書いたことの無いような子どもまで、実に熱心に書き上げていたのだ。ウニの発生実験というすぐれた教材が子どものハートを動かし、子どもを変えたと思う。さらにまたたくさんの子どもたちがこのウニの発生実験をきっかけにしてその後の生き方みたいなものが肯定的に変わっていった。この授業だけではもちろんないと思うが、この学年の子どもたちは受験の厳しい時期になっても、誰一人投げやりになる子はいなかったし、受験体制によってバラバラにされることなく、最後まで「教え合い学習」を続け「支え合う関係」を持ち続けた。


多き実りを求めて
民衆の視点からの「干拓」学習
著=重冨泰敏(前原市立加布里小学校)

 学習のはじめは、写真や地図を使って、子どもたちの気づきを大切にした。子どもたちには、干拓前と干拓後の地図を2枚見せて、その違いを出し合った。子どもたちから、「えらい海の入りこんどう」「加布里小は海の中やん」「ぼくの家は海の中やった!?」という声が出た。じゃあ、この土地はどうやってこうなったのかな?という私の問いに「火山が爆発、土地が盛り上がって動いた、土砂崩れや地震?」という声が出た。「実は人の力でした」と言うと、子どもたちからは「え〜!」という声があがった。


多用な性から男女別整列を考える
「自立の力」と「共生の力」をつけよう
著=岩佐尚史(飯塚市立幸袋小学校)

 私は家事分担していく中で、自分でできることを少しでも拡げていくことと、人と協力して助け合いながら生活していくことを学んだ。同時に、自分自身の「自立の力」「共生の力」のなさにも気づかされた。今は、私自身はもちろん、自分の子どもにも、そして学校の子どもたちにも、この力をつけていきたいと思い願い、日々過ごしている。この課題は、私の父母の世代にも言えることである。誰もが身に付け、拡げていきたい「自立の力」と「共生の力」である。「共生」についてさらに言うと、性の問題は幅広く、とても深い。様々な人がいて、思い悩んである方もたくさんおられる。まずはいろんな人がいるんだということを知り、人間を単純に男・女の枠で見ることのおかしさをこれからも子どもたちとともに考えることができたらと思う。


先生あげる…「しょうがっこうがだいすきです」
特別支援教育の方法を活かした集団づくり
著=重冨紀子(糸島市立深江小学校)

 6月のある朝、文ちゃんが「先生あげる!」と、持ってきた物があった。それは、まだ習っていない字を何とか書いた「しょうがっこうがだいすきです。」という手紙であった。私が感激の声を上げると子どもたちが寄ってきた。そしてクラスの友だちが言った。「文ちゃんすごいやん!あんなに首が痛かったのに、学校好きになったと?よかったね!」今まで何も言わなかったけれど、しっかりと文ちゃんを見つめ、見守る子どもたちがいた。


食べて学べる学校給食
「食」の教材となるために
著=井上由岐子(中間市立仲間南小学校)

 1時間目、畑の前に集まり、まず、私と調理員さんでサツマイモの料理や栄養について話をした。次に、担任がサツマイモの茎の取り方と皮のむき方を教えた。畑が狭いので、班ごとにとりに行って、皮をむいた。子どもたちはとても真剣!大きく育った茎を選びながら3本とり、筋に沿って慎重に皮をむいていた。皮をむいた茎を給食室に運び、後かたづけをしてちょうど1時間目が終わった。さつまいもの茎は給食室できれいな緑色にゆでられ、1年生のひじきの炒め煮に入れてもらった。この日の献立は「ご飯、サンマの塩焼き、かぼす、ひじきの炒め煮、みそ汁」だった。芋の茎が入ったひじきの炒め煮は、ほとんどの子どもたちがよく食べており、ひじきの苦手な子も芋の茎だけは食べたそうだ。


つくり・つながる 〜美タミンART〜
著=山下吉也(大牟田市立延命中学校)

 子どもたちは、美術の授業が大好きだ。「授業、全部美術でいい」とうれしいことを言ってくれる子もいる。ありがたいが、「それは無理」と答えておく。知識は、多種多様にたくさんあった方が人生面白い。身近なものにもたくさんの不思議が詰まっている。それを子どもたちといっしょに見つけて感じていきたい。今の私の「仕事」はARTを通じて、どんな「つながり」を子どもたちの中に作っていくかだと思っている。それは“人”と”もの”だったり、“人”と”人”だったり。この難しい時代を生きていくための「ビタミン」として・・・。


よろこびあふれる音楽をめざして
著=岡田理恵(芦屋町立芦屋東小学校)

 4月の出会いから3月まで、子どもたちとかけがえのない時間を過ごすことができた。いろんな子がいて、日々いろんなことが起こるが、みんなで考えながら乗り越えてこられた。その真ん中には、いつも「音楽」があり、空気のように自然に包み込んでくれることもあれば、励ましてくれることも、支えてくれることもある。子どもたちとわたしをつないでくれる「音楽」「たくさんの素晴らしい教材たち」に感謝の毎日だった。


身近な地域をどう見るか、そしてどうするか
著=藤井隆晴(古賀市立古賀東中学校)

 自分の住む地域がどうして現在のような姿となっているのか、その理由をつかみ取る。あるいは、どうしたら誰もが住みよい地域となるのか、自分なりの考えを持つといったことにより培ったものは、将来、子どもたちにとって、どこが「身近な地域」となっても、それを活かしていくことができる。その点をしっかり踏まえ、地域にあるもの(普段は気にもとめてないこと)を対象化し、主権者として生きていくために必要な力を育てる授業をこれからも大切にしていきたい。


「Try to the future!」〜進路・夢体験〜
第6学年 総合的な学習の時間
著=友田陽輔(久留米市立鳥飼小学校)

 木稲さんの話
 鉄砲みたいなもので眉間を撃ちます。正確に撃ってやらないと、馬も苦しみます。馬はドーンと倒れるんですが、その時はまだ死んでいません。素早く頸動脈を切り、逆さづりにし、血抜きをしないといけません。(放血)素早くしないと血が肉に回り、せっかく命を落としたのに商品になりません。残酷かも知れませんが、きれいに消化してやらないといけません。本当に残酷なのは、残したり、粗末にすることだと思います。馬たちが生きてきた意味を考えると、誇りをもって撃って、しっかり、きれいに切ってやらないといけません。